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テーマ&要旨:2002年10月18日 (金) 12時21分 Web 掲示板投稿 |
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テーマ:制服 長い間、日本では学校の制服の必要性について議論されてきましたが、アメリカでも同様に制服についての議論がなされています。アメリカでは政府の政策として制服着用をすすめる動きがあり、それが大きな広がりを見せています。自由の国アメリカで制服かよ!と驚く人も多いのではないでしょうか。アメリカの学校では犯罪、非行などが多発しており、その乱れっぷりは日本の比ではありません。そこで制服を導入したわけですが、意外にもその効果は大きく、「勉強に集中できる」、「校内暴力が減った」、「校外犯罪が減った」、等と注目を集めています。99年の時点で24州において制服着用を義務付ける「制服法」を制定しており、制服が大きく見直されています。 |
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発表報告:2002年11月07日 (木) 12時20分 Web 掲示板投稿 |
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文化論コロキウム報告書 テーマ『学校制服を考える』 発表者 小原香奈子 担当教官 菊地良夫
今回は、制服と個性について主に議論をしました。 質問 議論の内容 「実際に個性って失われているんですかねぇ」という発言から議論が始まった。それに対して、個性が全く無くなるということはあり得ないわけで、問題は日本の教育が、生徒の画一化を強制している人を上から押さえつけるようなものであり、それが制服に象徴されているのではないか、という意見があった。ここで問題となったのは管理されるということと、個性を失うということの違いである。授業中静かであるというのは日本の授業の形態であり、だからといって学生に個性がないとは言えない。では、「個性を失う」とはどういったことをいうのだろうか。 次に坊主刈りと制服に本質的な差はないのではないか、と考えた結果、制服が持つ機能はスクールアイデンティティーである、という意見があった。 ここからの議論は、制服によって個性を失うということはないということを前提とした上で進められた。学生の反応は他に、制服に対するセンスが失われる、失われているのは個性じゃなく、何か規律を当てはめられていることで失われている、みんなそろったほうがいい、縛られていると思っていないなど、制服に肯定的な意見が目立ち、安心感があることが制服を肯定する一因であった。カメレオンとトラの例から、制服は弱者にとって隠れ蓑となり、強者にとって支配道具となるという意見もあった。制服が嫌になるのは制服の着こなし方などの規則が過剰であるなどが挙げられた。 制服を着て男女別に並んでいる修学旅行の写真があったが、これに違和感を感じないのは日本の教育システムに慣れてしまっているからである。また、制服という与えられた範囲の中で工夫して自分を出すことを考えることがいい経験であると思うことが日本的であるという指摘があった。
まとめと反省 制服を考えるというテーマを出したとき、私達は制服に反対する学生が多いのではないかと予想していたのだが、意外に制服に対して肯定的な意見が出されたことが驚きであった。これは私たちが日本の教育に慣れてしまっているからなのであろうか。 今回は多くの人が自分の考えや体験を述べるのみにとどまり、他者に対しての反論、賛成など、議論を深めていくことができなかったように思う。相手の考えに対して自分の経験を話すにとどまらず、それらを踏まえてどう考えるかを発言してみてはどうだろうか。もっと反論があってもよいと思った。 |