平成14 (2002) 年度「文化論コロキウム」発表記録
  

 

 

テーマ&要旨2002年10月25日 (金) 17時21分 Web 掲示板投稿

 

  

 来週のコロキウムのテーマは、「ギャンブルについて」です。

 世の中にはパチンコ、競馬など、沢山のギャンブルと呼ばれるものが存在します。ギャンブルは、娯楽の一つとして私達に楽しみを与えてくれると共に、今や一大アミューズメント産業として経済効果をもたらしているものもあります。
 一方で、ギャンブルにハマってしまい、経済的困難、精神的な依存症に陥ってしまう人がいたりと、世間的にマイナスイメージが持たれているのも否めない現状です。

 今回は主にパチンコを取り上げて、そこから人間・社会・文化的等の方面から、ギャンブルがどのような役割を果たしているのかを皆さんで考えていきたいと思います。

 

 

 



発表報告2002年11月14日 (木) 16時58分 Web 掲示板投稿

 

文化論コロキウム・報告書

発表日 10月31日(木)
発表者 C班 加藤央子 穴原慎也 下村佳奈
指導教官 小林英信

 

テーマ 『ギャンブルについて考える』

 

1. レジュメの要約

 まず、ギャンブルについて調べた限りの知識を提供した。国語辞典や文化項目分類の書等から得た、とりあえずの定義を挙げた。この時点で、ギャンブル・賭博に関する法律には触れなかった。次に、ギャンブルが人に、または社会に与える影響について発表者の考えた範囲で意見を述べた。そして、論点を「なぜ、ギャンブルは『悪い』のか?」、「ギャンブルが公認(黙認)、もしくは必要とされるのはなぜか?」として議論を始めることにした。ギャンブルは、本当に「悪い」ことなのか?焦点はここである。

 

2.議論の内容

 質問は、もっぱらギャンブルに関する法律についてだった。

 論点とした、「なぜ、ギャンブルは『悪い』のか?」については、「なぜ、ギャンブルは悪いイメージをもつのか?」という点から考察した。

・ アンダーグラウンド的行為(隠れてしている!)
・ 成功の可能性の少ない危険な行為だから
・ 熱中しすぎてしまうものだから
・ 勤労に対する日本人の道徳観

 集中して意見があったのは、日本人の道徳観についてであった。日本国民は、農業で生計をたててきた民族だ。日本では額に汗をかきながら、手間ひまかけて農作物を育て、一生懸命働き生きて、そしてそれが当たり前であり正しいとされてきた。であるから、運を天にまかせるようなかたちで安易に大金を得られるようなことに対して、人々が不快感をもつことは当然とも言える。

 「ギャンブルが必要とされるのはなぜか?」について。

・ 必要とされるのは、自治体にとって多大な収入源となるから(経済的問題)
・ ギャンブルのスリルや魅力にとりつかれた人のため、またはストレス解消などの気分転換を求める人間のためつまり社会にとっても人間にとっても必要なものとなる。

 公認されるギャンブルと、黙認されるギャンブルについての話題もでた。

 

3. 感想

 議論はスムーズに進み、発表者側としてはテーマ設定・論点については満足のいくコロキウムとなったと思っている。ただ、ギャンブルに関する法律については、刑法のみの資料しか収集していなかったため、情報収集・提供という面で反省点が残った。それから、「文化としてのギャンブル」というものについても調べればおもしろかったかもしれない。
 自治体が胴元となるものは公認されていることについて意見がでた。法律によってギャンブル=「悪」というレッテルを貼っておきながら、公営ギャンブルは認められているなんておかしい。(胴元の管理がしっかりしていることが一応明確であるからかとも思ったが。)
 それにしても、ギャンブル=「悪」という方程式は、私たちの中に存在しているし、ギャンブラーは少なからずうしろめたさのようなものを持っていることに対して改めておもしろさを感じた。何事に対してもそうだが、「イメージ」や「観念」というものが一体どこから生じてくるのかということを、きちんと考えることが重要である。
 ギャンブルと一切関わらないで生きている人はいるだろうか?人間は賭け事(金品を賭けなくても)を昔からやってきた。明日の天気を賭けたりする小さなこともあれば、すぐにはギャンブルだと結び付けられないような生命保険など、ギャンブルというものは私たちのごく身近に存在していることは確かだ。今回、このテーマについて提案し、議論できたことはプラスになると思う。