平成14 (2002) 年度「文化論コロキウム」発表記録
  

 

 

テーマ&要旨2002年10月31日 (木) 20時15分 Web 掲示板投稿

 

  

コロキウムD班(永木秋穂 遠藤里子 藤倉友美) 予告

  コロキウムでコロキウムを論ずる!!
  ― 日本人の議論の力はいかほどか??―

 文化論コロキウムは、文化システムコ−スにおいてメインといえる講義です。ここでは、学生達が様々なテーマを取り上げ、先生、学生がともに議論しあう場です。
 コロキウム開講から一年半が過ぎました。しかし、活発な議論が行われているのか、私たちは疑問を抱いています。
 日本人は欧米に比べ、議論が弱いと言われています。これには教育制度や儒教の教えなど、歴史的背景が深く関与していると思われます。わたしたちのコロキウムを具体的な対象として取りあげ、日本人の議論の力について考えていきたいと思います。そして、コロキウムをよりよい討論の場にしていきたいと思います!!

 

 

 



発表報告2002年11月11日 (月) 16時15分 Web 掲示板投稿

 

 

文化論コロキウム「報告書

発表日  11月7日(木)
発表者  D班 遠藤里子 藤倉友美 永木秋穂
指導教官    池田成一

 

テーマ  『コロキウムでコロキウムを論ずる!!
       ―日本人の議論の力はいかほどか??―』

 

1.議論の内容

 まずはじめに、事前に配付し集計したコロキウムについてのアンケート結果を公表しました。現在のコロキウムの満足度について尋ねたところ、あまり満足していない人が多く、その理由として、学生からの意見・発言が少ない(学生同士の討論になっていない)(12人)、議論がすれちがっている(2人)、他人の意見を聞くことで参考になったり、固定観念が崩れて楽しい(2人)、プレゼンテーション能力がつく(1人)などが挙げられました。
 アンケートに非常に多く書かれていた、「学生からの意見・発言が少ない」ということをもとに、「なぜ意見を言えないのか」を聞いてみました。ここで出た意見は、以下のものです。

 ・自分の意見が定まっておらず、正しいのか正しくないのか不安。
 ・言い出しにくい雰囲気がある。
 ・他の人の意見に流されてしまう。(主体性がない)
 ・YESかNOにわかれて行う議論は日本人は上手いが、個人の意見や経験、思想を述べるとなると、言えなくなる。

 自分の意見が周囲の人と異なっていた場合、社会でも学校でも、日本人は和を尊重して周りにあわせる傾向があります。なぜ、同調するかと言うと、異なる意見を言うと損をするからという意見が出されました。一方、欧米人も孤立することが怖いと感じているけれども、発言できるのは自分と同じ意見の人間が他にもいるとわかっているからだという意見も出されました。
 個人の意見や経験、思想を述べるとなると、言えなくなるのは、イデオロギーの問題で、個人のアイデンティティーが確立していないからで、それは今まで日本人が自分の考えている事を表に出す必要がなかったからと言えます。
 議論する場がなかったため、日本人の議論の能力が低いのは仕方がないとも言えます。しかし、必ずしもこれまで日本において議論する場がなかったわけでなく、自由民権運動、学生運動では盛んに議論が行われていたという意見が出されたが、これは例外ではないかと私たちは思いました。
 自分の意見を言わず周りに合わせていたら事がすんでしまう日本では、議論の必要性がないとすれば、コロキウムもそもそもいらないのではないのかという議論が起こりましたが、世界では日本的なその姿勢では通用しないということなので、やはり議論は必要という説が多数派を占めました。
 次にコロキウムは反対意見を言ったからといって、何も損害は受けないのに、なぜ学生は発言しないのか、ということに議論が移りました。勇気がいるからという意見に対して、それ以前に自分が言わなくても他の人が言ってくれて議論は進む、という学生怠慢説が出されました。議論の授業なのに発言しなくても単位を取れてしまうという甘さがあるのではないかという意見も出されました。また、座り方を変えるべきという指摘もありました。

 

2.まとめと反省

 コロキウムをもっと活発なものにしたいということが、そもそもの始まりでした。今回、議論する必要性があるという結論に一応落ち着きました。コロキウムでもっと学生が意見を言わなければということはみなさん感じているところだと思います。自発的に意見を言えるようになるのが理想ではありますが、自由に言えるようになるには、ある程度、議論の場に慣れないとできないものだと思います。最初、多少の無理をしてでも意見を言い、議論に慣れておくことが、コロキウム活性化への道だと思います。

 

<参考文献>

中山 治『戦略思考ができない日本人』(ちくま書房、2001年)
    『無節操な日本人』(ちくま書房、2000年)