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テーマ&要旨:2002年05月17日 (金) 16時11分 電子掲示板投稿 |
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来週5月23日の文化論コロキウムは 「学校週5日制にみる『ゆとり』」です。 2002年4月から、毎週土曜日が休みになる学校週5日制が導入されました。これは学校にいる時間を減らし、家庭や地域で過ごす時間を増やすことで子ども達の「生きる力」を育てようという「ゆとり教育」を社会全体で進めようとするものです。21世紀を担う子ども達に身につけてほしい「生きる力」とは何か。 学校教育の背景を探りつつ、学校週5日制からみる「ゆとり」について考えてみたいと思います。 ・あなたにとって学校とはどのような場所ですか? |
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発表報告:2002年05月29日 (水) 15時51分 電子掲示板投稿 |
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学校週5日制にみる『ゆとり』 5月23日発表コロキウム報告書
発表者 木村佳世 能戸敬子 熊谷直美
レジュメ要約 1.週5日制の成り立ち 労働者による労働時間短縮運動や外国からの「働きすぎである」という日本バッシングにより、1992年から国の下で働く公務員を初めに週休2日制が取り入れられた。しかし、同じ公務員でありながら週休2日制が適用されなかった学校教職員のために、学校週5日制が導入された。1992年、1995年の試験的実施を経て、2002年4月から毎週土曜日が休みとなる完全学校週5日制が実施されている。
2.学校週5日制について 完全学校週5日制は2002年4月から実施されており、毎週土曜日を休みにすることで学校・家庭・地域社会にゆとりをもたらし、子ども達の「生きる力」を育み、健やかな成長を促すことを目的とする。
3.ゆとり 教育においてゆとりが見直されてきたのは1970年代の詰め込み教育が発端である。詰め込み教育についていけない「落ちこぼれ」問題を解決するために、ゆとりある教育が模索されるようになった。
4.論点 完全学校週5日制により「ゆとり」はうまれるか?
議論の流れ 論点の「完全学校週5日制によりゆとりは生まれるのか」については、多くの人が私達と同じ「時間的ゆとりは生まれるが、精神的ゆとりは生まれない」という考えだったので、論点はゆとりが生まれない背景へと移っていった。ゆとりが生まれない背景には、入試制度が関係すると考えられる。現代日本社会には未だ1970年代の学歴神話が残っており、受験戦争は続いている。新学習指導要領にある教育内容の削減や授業数削減をしても受験の内容が変わるわけではないので、受験に打ち勝つためには塾や私立校に行かせた方が良いと考える親が多いことから、子ども達は勉強する事から逃げられない。よって入試制度がなくならない限り「ゆとり」は生まれない、と考えられる。また、私達は教師のゆとりのために週5日制が生まれたと考えたが、総合的な学習の時間の下準備等で実際には教師にゆとりは生まれていない、という意見があった。他にも学習内容の削減は幅広い知識を持つ事で多角的な視点から物事を見る事ができる「考えるゆとり」を減らすだろうという意見や、従来のみんなで学力を向上させようとする詰め込み教育に比べ、ゆとり教育はできる人だけ勉強すれば良いというエリート養成であるという意見も見られた。これによると、ゆとり教育は勉強をする子としない子の二極分化が進むと考えられる。
結論 学校週5日制により子どもにゆとりが生まれない背景には、過度の受験競争の問題がある。過度の受験競争は少子化が進む中で、緩和しつつあると言う見方があるものの塾通いの増加や受験戦争の低年齢化に象徴されるように、大学・高等学校をめぐる受験戦争は、多くの子どもや親を巻き込みつつ、一部の小学生へも波及し、かえって厳しくなっているのが現状と考えられる。過度の受験戦争は子ども達の生活を多忙なものとし、心の「ゆとり」を奪う大きな要因となっている。このように現代社会にはゆとりを生ませない風潮があり、「ゆとり教育」とは名ばかりの教育計画である。いまの教育は学習指導要領、つまり国に縛られており、誰のための教育なのかと考えさせられた。
参考資料:『日本の論点』 会田雄次ほか 文藝春秋(1992)
追記 5月23日(木) G41教室にて発表。 |
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