平成14 (2002) 年度「文化論コロキウム」発表記録
  

 

 

テーマ&要旨2002年05月27日 (月) 17時09分 電子掲示板投稿

 

  

5月30日の文化論コロキウムのテーマは、「アニメーションの魅力を探る」です。

 今年の2月17日に行われた、ベルリン国際映画祭でアニメ映画監督である宮崎駿氏が「千と千尋の神隠し」という作品で最高賞にあたる金熊賞を受賞しました。この賞は今まで実写映画にのみ与えられていたもので、アニメーション作品での受賞は映画祭の歴史の中では初の快挙でした。
 名誉ある国際的な舞台で氏の作品が評価されたという事実は、日本が誇る「アニメーション」という分野にとって、大きな一歩となりました。
 しかし宮崎駿作品のように「評価されるアニメーション」と私達が日頃から馴染み深い「特に評価されないアニメーション」の違いは一体どこに生まれているのでしょうか?今回はこの事を色々な角度から考えていきたいと思います。

 

 

テーマ&要旨2002年06月04日 (火) 19時42分 電子掲示板投稿

 

 

 今週の文化論コロキウムは前回消化できなかった議題についての続きという形になります。前回は、十分に議論が広がらなかった事について煮え切らない思いを持った方も多かったようです。掲示板に積極的に書き込みをして下さった方もいました。それは皆さんの「宮崎作品」に対する、もしくはアニメーションに対する関心の高さを示しているものだと思います!!!!!
 前回の議論の問題点を考えたところ、まず第一に議論のテーマが幅広くなり過ぎた事。それが原因で、なぜアニメーションなのか?という表現手段についての議論で話が煮詰まってしまった事。そして私たちが一番議論のテーマとして取り上げて欲しかった、「宮崎アニメはなぜ日本で受け入れられたのか」ということを、ジェンダー、バブル、環境問題等に例を取って文化論的に議論を進めていくという段階まで到達しなかった、という事。などが挙げられると思います。
 今回は時間がたっぷりあるのでまず前回の不満点?もしくは前回いい足りなかった事などをあげてもらう時間も取りたいと思います。また皆さんの中で宮崎作品がどのような位置付けにあるかについても少し聞いておきたいと思います。
 また前回参考資料として宮崎氏が活躍しはじめた八十年代〜九十年代の主な社会現象をまとめたものをお渡ししました。今回はそれらを活かした議論の展開を期待したいと思います。

 



発表報告2002年06月19日 (水) 18時07分 電子掲示板投稿

 

 

コロキウム報告書:発表日 5月30日&6月6日

        発表者 藤原敬史 黒坂恵美 佐藤徳洸
        指導教官 後藤先生

       

1話題提供について

 今回は「アニメーションの魅力を探る」という主題の下、宮崎駿氏の作品がなぜ今、広い世代に指示され、受け入れられるのかという事について議論を求めました。

 

2レジュメについて

 資料として提示したレジメの要約をすると、1章で予備知識としてアニメーションの語源、歴史、アニメーションの分類などについてまず触れ、2章でアニメーションに対する偏見と言うものについて取り上げました。暴力シーンや性的描写が多い、アニメーションとは子ども向けである等という見方がまだ多くある理由として、リミテッドアニメーションとジャパニメーションの存在が関わっているという説明をしました。3章では宮崎駿監督のアニメーション作品についてということで、氏の経歴や作品の紹介、そして宮崎アニメの優れている所として、ベルリン映画祭でも評価された「豊かな想像力と高度な表現力」について私達なりに解釈し、例をあげて説明しました。そして最後に論点として「なぜ宮崎アニメは日本で受け入れられたのか?」についての私達を意見を述べました。ここで私達はその背景には、宮崎アニメが流行した80〜90年代の時代的要因も関わっているのではないかと考え環境問題、ジェンダー、バブルに関連した議論の展開を期待しました。

 

3質問

「 想像力と表現力の違いとは何ですか?」
 「アニメーションに対する偏見は(偏見)ではなく(事実)ではないですか?」
 「ジャパニメーションの正確な分類分けとは?」

 今回は質問に多くの時間が取られてしまった気がしました。後から振り返ると説明不足だった点も多く、それは反省すべき点だと思いました。

 

4議論の流れ

 今回は皆さんの宮崎作品に対する関心の高さを示すかのごとく、コロキウム史上初の2週にわたる議論延長という形になりました。
 まず1週目の議論ではアニメーションという分野に対する質問が多く、なぜアニメーションという分野で宮崎氏が評価を得る事ができたのかという問題の方で議論が多くなされました。また、宮崎氏の作品が受け入れられている背景には彼の作品のブランド化があげられるのではないかといった意見もありました。議論の後半になると、宮崎氏の作品が受け入れられているのは、彼の作品が通俗的であるからだという意見があがりました。通俗的である理由としては、第1にテーマも例えば環境問題などといったもので、格別珍しい物ではないという事。第2に宮崎氏の作品にはモチーフとなるような作品があり、彼に想像力があるとはいえない事。第3に彼の作品にはどの世代の人々のも受け入れられる要素がちりばめられているといった事。第1週の議論はここで時間切れとなりました。しかしまだ学生の中にその意見に対し煮え切らない思いを抱いた人が多く、次週も継続という形になりました。
 第2週目はまず掲示板に「アニメとカタルシス」というテーマを提示してくれた人がいたこともあり、皆さんの中に宮崎アニメがどのように息づいているかというような質問をなげかけました。すると、宮崎アニメの中に、「答え」のようなものがあるような気がするといった意見がありました。そこでその「答え」というものは何なのだろうかについて議論してみようとしました。しかし、「答え」の捕らえ方が人によって様々で広がりすぎる様だったので本題に戻しました。
 結論としては、物語の描写や映像面などで、現実にある事と非現実的な事が適度に結びついていて、人々の共感を得ているのではないかという意見と、私達が主張した社会的問題も背景にふくまれるといった意見がだされました。私達のまとめきれなかった主張がまとまったという印象でした。

 

5感想

 今回のコロキウムでは特に2回目の方で、学生が中心となった議論がされたのではないか、という感想を持ちました。最終的には議論の方向性に迷い、先生方の意見を求めることにはなりましたが、学生の意見はいつもより多かった方なのではないかなという印象でした。さらに掲示板に書き込みをしてくれて議論のテーマ等について、建設的な提案をしてくれた学生もいました。これは主体的参加を促進するという意味で非常に大きな意義があったと思います。これからもコロキウムでの疑問点や意見等があったら積極的に書き込んでほしいと思いました。
 最も大きな反省点としては、明確に私達が意図する議論のテーマを伝える事ができなかった、ということがあげられると思いました。発表者は分かっているつもりでも、聞き手に伝わっていない点が多かったということに気付いたのは、2週目の議論のときでした。
 そしてさらに宮崎作品「全般」から何かを読みとろうとした、ということも議論が広がり過ぎた原因だと思いました。
 次回は今回の反省を踏まえてさらによい発表をして、実りの有る議論を展開したいと思います。

 

参考文献

おかだえみこ他、『アニメの世界』、新潮社、1988年
植草信和、『千と千尋の神隠しを読む40の目』、キネマ旬報社、2001年
宮崎駿、『出発点』、徳間書店、1996年
植草信和、『フィルムメーカーズ(6)宮崎駿』、キネマ旬報社、1999年
森進一、『ホメロス物語』、岩波ジュニア新書、岩波書店、1984年