コロキウムL班報告書
テーマ:なぜウケる?『トリビアの泉』
発表日:2003年11月6日(木)
発表者:下村佳奈 及川幸恵 佐藤万里子
担当教官:後藤尚人
◆問題提起◆
フジ系列で毎週水曜夜9時から放映されているバラエティ番組「トリビアの泉」は、視聴者の投稿による「人生にまったく必要のない無駄な知識」を品評する番組である。「無駄」である知識を品評するにも関わらず、この番組が高視聴率を取り続けているのは何故なのか。その理由について多方面から考え、更に話し合いを通じて解明してみたいと考えた。
◆発表形式◆
発表はパワーポイントによるプレゼンテーション形式で行った。パワーポイント画面はそのまま資料として参加者に配布した。またプレゼンの一環として「トリビアの泉」(2003年10月23日放映)より一部選択したものをビデオにより紹介した。
◆発表内容要約◆
最初に「トリビアの泉」の番組紹介をし、番組がヒットしている原因を番組自体、送り手、受け手という3つの見方に分類し、それぞれから考えられる要因をあげた。番組自体から考えられる要因では、番組の構成や演出の面白さについて具体例をあげて説明し、又内容の面白さについて、意外性が面白さに繋がるのではないかと主張した。送り手側による要因としては、現在ヒットしている番組をパロディ化したアンチ実用番組であるという意味で、発想や着想が面白いことがあげられるとした。受け手側による要因としては、現在の社会状況がこれまでの無駄を省く、実用的なものを求める志向から、多少の余裕を求め始めている時期であり、だからこそ受け入れられたのでは、と主張した。最後に、これらを踏まえた上での我々の見解が三者三様だったので各々の見解を述べた。
◆論点◆
先ず、タイトル通り「何故『トリビアの泉』はヒットしているのか」と投げかけ、次に「そもそも『無駄な知識』は存在するのか」という疑問について考えてみることにした。
◆議論の展開◆
まずは発表に対する質問を受けたが、番組構成についての質問がほとんどであった。その後、発表について、発表では原因の考察を『番組自体』、『送り手』『受け手』と分けているが『番組自体』と『送り手』は表裏一体なのでは?という意見が出され、そこからヒットしている理由についての議論が展開した。ヒットしている要因についてはやはり送り手側の意図、演出等の巧さにあるのでは、という意見が多数を占めた。
次に、2つ目の「無駄な知識」は本当に「無駄」なのか、という論点についての議論に移ったが、ほとんどの意見が「無駄な知識」は「無駄」ではないという意見だった。「無駄知識」というのは番組の意図したものであり、「無駄」とすることで、知識という言葉の堅いイメージを和らげて、気楽さを持たせているのではないか、という意見である程度まとまった。
その後、実用的な番組と「トリビアの泉」について、情報を知った時の気持ちに違いはあるのかと問題を提起したところ、トリビアは他番組よりも気楽でいて深く掘り下げていくところにもトリビアの人気の理由があるのではないかという結論になった。
最後にこの番組の存続について簡単に話したが、番組が続くにつれて、演出や投稿されるネタがパターン化されてしまうと意外性が無くなり廃れていくのではないかという見解を示した。このように流行は必ず下火となっていく、しかし今の時点では「トリビアの泉」は見てハマる可能性は高いだろうという意見を主張し終了した。
◆感想と反省◆
「トリビアの泉」という学生にとって身近な素材を扱い、パワーポイントでの発表や、ビデオで実際に番組紹介をしたことで、多くの人に興味を示してもらえたし、様々な意見が出たと思う。しかし、発表後の議論の司会について詳しく計画を立てていなかったために、議論を円滑に進行させることができず、また学生の発言を促がすことができなかった。また、議論の中で、原因の考察における「番組自体」と「送り手」は表裏一体なのでは?という意見に対して、「送り手」とは着想の段階のことであり、「番組自体」とは出来上がった番組のつくりであると区別していたことをうまく説明することができなかった。
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