平成15 (2003) 年度「文化論コロキウム」発表記録
  

 

 

テーマ&要旨2003年05月01日 (木) 16時18分 Web 掲示板投稿

 

  

 5月8日のコロキウムのテーマは「ロボットペット」です。

AIBOをはじめとするロボットペットが多く売り出されています。
ロボットペットは、世話がいらない、死なない等の利点があります。
しかし、それは本当にいいことなのでしょうか?
何か問題はないのでしょうか?
ということについて、皆さんと話し合ってみたいと思います。

 



発表報告 2003年05月21日 (水) 12時26分 Web 掲示板投稿

 

 

◇ コロキウム報告書◇(5月8日発表)

  テーマ:『ロボットペット』 

  発表者:杉浦幸恵&浅利純子
  司 会:小山信太郎
  指導教官:山本昭彦先生

 

◎レジュメ要約

 ペットには人間が責任を持って飼うことにより様々なメリットがあると思われる。しかしロボットペットのメリットは、人間側の責任が少なくてすむことである。そこで、論点を「ロボットペットのメリットは、実はデメリットなのではないか?」とし、その例として「責任をとらなくていい、ということが、子どもの自我の発達に悪影響を与えることはないか?」と提示した。

 

◎質問事項

・ロボットペットは怒るのか?→「怒り」という本能も組み込まれている。
・ロボットペットの購入層と家族構成は?→30〜40,50代と幅広く、子どものいる家庭もあれば独身の人もいて家族構成も様々である。
・ロボットペットの値段は?→最初の型は約20万円、安いものでも約7万円。
・ロボットペットを「飼う」という表現は正しいのか?→実際にロボットペットを持っている人は「オーナー」と呼ばれている。

 

◎議論の内容

 最初に、子どもの自我の発達への影響について、買い与える親がロボットペットを「もの」ではなく、「動物」として扱えば問題ないのではないか、という意見が出た。そこから、論点が「ロボットペットをペットと意識できるのか?」となった。それに対して、親は意識できても、子どもは意識できないのではないか、という意見が出た。よって、子どもの感受性を養う点で良いものとは言えないのではないかということになった。

 次に、ロボットペットに限らず、ペットに依存する人間の意識に問題があるのではないか、という意見が出た。人間とペットの関係には、人間同士の付き合いのような煩わしさがなく、人間は一方的にペットに癒されることを望んでいる。ペットではなく、ロボットペットを求めるようになったということは、人はペットとの付き合いさえ煩わしいと思うようになったのではないか。つまり、人間は自分にとって都合の良い関係を求める傾向にあるのではないか、という意見が出た。そこで、ロボットペットもペットと同じように、世話を怠ったら死ぬ、等の機能がつけばいいのではないかという意見も出た。

 また、論点について、ロボットペットを飼っている当事者を「良い」、「悪い」と議論するのではなく、ロボットペットを作り、子どもに与えるという行為が「良い」か「悪い」か、について議論するべきだという意見が出た。

 そして、ロボットペットをペットだと間違うことが問題であるという意見から、ロボットペット固有の特徴を追求し、ペットとは違うものを作ることで、ロボットペットとペットとの線引きがなされれば良いのではないか、という意見も出た。

 他にも、ロボットペットをファッション感覚で飼っている人もいるのだから、一概に人はロボットペットに依存するとは言えないのではないか、という意見も出た。いずれにしても、ロボットペットを飼う側の意識の持ち方が重要である。

 

◎反省

 こちらから論点の例として提示した話題に縛られすぎてしまった。もっと様々な角度から議論を進められれば良かった。また、ロボットペットに関する資料が不足していた。ロボットペットを実際に飼っている人の意見などが少なかった。

 しかし、全体的に学生側からの意見も多く出され、活発な話し合いになったと思う。