平成15 (2003) 年度「文化論コロキウム」発表記録
  

 

 

テーマ&要旨2003年05月13日 (火) 12時43分 Web 掲示板投稿

 

  

 5月15日のコロキウムのテーマは、「和製英語」です。

 世の中に広く出回っている外来語のなかでも、もとの外国語から離れて日本独自の形や意味を形成している和製英語について議論したいと思います。みなさん是非身の回りの和製英語を探してみてください。

 テーマの発表が遅れてすいませんでしたー。

 



発表報告 2003年05月30日 (金) 14時28分 Web 掲示板投稿

 

 

 コロキウム報告書
 テーマ:「和製英語が海をわたる日」
 発表日:5月15日
 発表者:川崎能大 伊藤えり
 指導教官:後藤尚人

 

●話題提供

 我々の身の回りには様々な外来語が溢れているが、あまりに身近すぎて目を向けることは少ないように思う。今回は外来語の中でも日本人が独自に生み出した「和製英語」に注目し、その存在について一度深く考えてみたいと感じ、この話題を提供した。

 

●レジュメ要約

 まず和製英語とは何か、外来語との違いを加味しつつ定義を示した。和製英語とは、英語からの借用らしく見えるが、実は単語を変形または複合させて日本語で作った語である。その後具体例を提示し、いかに無意識のうちに使用しているか、日本語として浸透しているか実感してもらうために、和製英語を含んだ英文を読んだ。そして『和製英語アメリカを行く』(石戸谷滋、大修館書店、1987年)という本の内容と筆者の考えを紹介し、それを発展させる形で「和製英語を輸出する」ということを論点とした。

 *ここでいう「輸出」とは和製英語を外国に売り込むという意味ではなく、英語の中の新たな単語として認め、使用していこうという意味である。

  

●論点

 和製英語を英語圏の人に伝える場合、無理に正しい英語に直すより、そのままの形で使用したほうがいいのではないか。そのほうが日本文化をより的確に反映しやすいうえ、英単語を利用しているため、英語圏の人にも馴染みやすいのではないか。

 

●議論の流れ

 はじめに「具体的にどの言葉を輸出するのか」という質問が出たが、それについては参考資料の中の「英語にはない単語の組み合わせ」(ex.ネームバリュー:英語にはこのような概念自体が無い)と「意味用法の変化」(ex.カンニング:本来の意味は、「ずるい」)は輸出できるが、文法的に間違っているものは輸出できないだろう、とまとまった。次に、輸出することはかまわないが、実際に外国で広まるのだろうか、ということが問題になり、そこでは

 ・英語にない概念の和製英語は、同時に日本的な考えも輸出する必要がある
 ・外国で広めるためには説明し・理解してもらい・興味を持ってもらう必要がある

との意見が出された。また、それに関連して、「輸入された実例はあるのか」との意見が出されたが、それについては満足のいく例を出せなかった。輸入できそうな和製英語としては、「ゴールイン」という例があげられ、これについては結婚を人生のゴールとしてとらえる日本的発想に興味を抱いてくれるのではないか、との予想がたてられた。また「ナイター」という言葉も英語には無いが、用法として自然であり、使い易い言葉であるという例も出された。

 そこで一度議論が途切れてしまい、「和製英語が生まれる背景について議論したほうがおもしろいのでは?」との意見が出されたため、そこに論点が移っていった。さまざまな意見が出されたが、主に

 ・欧米または英語自体に対するコンプレックスのせい、または欧米化の流れのせい
 ・日本語のもつ造語力や、言葉遊びによるもの
 ・日本人の英語力が向上したため

などの意見がでた。そしてそれに伴い、和製英語は「文化をつくる最先端にいる人が生み出す」との意見がでた。

 

●まとめと反省

 和製英語を輸出することへの反論は無かったが、どう広めるのか・実際広まるのか、といったところが問題となった。まずは意味の説明をする必要があり、そして面白い言葉であれば広まるのではないか、という考えに落ち着いた。「和製英語」は言語的な問題はもちろん日本文化・流行語・メディア等様々な問題をはらんでいることが分かったので、コロキウムだけでなく他の場所でももう一度調べてみる価値があると感じた。
 今回は具体例の提示が不十分だったことと、論点をうまくまとめられなかったことのために、議論が円滑に進まなかった。そして結果的に議論を深めることができなかった。今後はもっと論点を絞り、学生の意見を多く引き出したい。