平成15 (2003) 年度「文化論コロキウム」発表記録
  

 

 

テーマ&要旨2003年05月20日 (火) 12時21分 Web 掲示板投稿

 

  

 今週のコロキウムのテーマは「携帯メール」についてです。

 今では誰もが持ち歩くようになった携帯には、メール機能が付いていますね。今回はこの携帯メールに焦点を当てていこうと思います。メールの発展・携帯メールの登場、現在の利用状況を通して、この携帯メールが社会・文化をどのように変えたのか、そして、今後いかにして変容させていくのか、皆さんで考えていきましょう。
 これを機に身近にある携帯について改めて考える機会を持ってみてくださいね。その意見をぶつけ合いましょう!

 



発表報告2003年06月17日 (火) 09時52分 Web 掲示板投稿(訂正分)

 

 

コロキウム報告書

 テーマ:携帯メールは社会をどう変えたか

 発表日:5月22日
 発表者:下村佳奈 伊東裕香 山口達哉
 指導教官:杉浦直

 

1、はじめに

 携帯電話、特にそのメール利用(以下携帯メール)は急速に発展し、社会における人々のコミュニケーションの形態を変えた。そこで、今回のコロキウムでは、

(1)携帯メールの普及は若者・またはそれ以外の世代の人々の対人関係のあり方に影響を与えている(また今後与えていく)だろうか。また影響を与えるのであれば、どのような影響を与えるのだろうか。
(2)また、それを通して社会のあり方にどのような影響を与えた(与えていく)だろうか。

といった点を討論してみた。

 

2、プレゼンテーション

 討論に先立って、ある程度の知識を共有するために、以下のような内容のレジュメと資料を提供した。

(1)電子メールの発展
 パソコンによる電子メール(以下PCメール)の普及から携帯メールが登場・普及するまでの流れを追ってみた。

(2)携帯メールの利用形態について
 携帯電話・携帯メール・PCメールの利用形態の特性を、

    ・携帯メールとPCメールの利用形態の違い、それぞれの有用性
    ・年齢別で、携帯通話と携帯メールの使用頻度数とその比

などの諸項目について既存のアンケート結果などのデータを示し、携帯メール利用形態の特色を検討した。

 

3、討論の展開  

 上記2の(1)・(2)の資料を基にして、質疑応答からはいり、携帯メール普及によるコミュニケーションの質の変化に起因する対人関係や社会のあり方の変化について討論を通じて考える事を試みた。 

 私たちの提示した討論資料に対して、教官や学生から多くの疑問が投げかけられた。

・携帯メールの普及に伴い、携帯通話の利用に比べて、携帯メールの利用数が上回っているということについて、それはお金の問題じゃないかという意見が出た。現在は通話の方が圧倒的に料金が高い。だから、電話よりもメールを多用する。特に学生はお金がないので、メールの使用数の方が目立つ。技術が進歩して通話もメールも料金一律になったとしたら、どうなるか。おそらく、どちらが多いかは別にして、電話が使えないときにはメール、電話の方が必要とされるならメールという具合に、どちらも使用用途に応じて使い分けられるだろうと思われる。

 では、今の若い人のメールと通話の使い方が、お金によって影響を受けているのであれば、それは、コミュニケーションの質うんぬんの話ではないのでは、という意見が上げられた。

・私たちの資料の中では、メールはいつでも容易に送れるために、拘束性があまりないというようなことを書いたが、実際は電話の方が用件を手早く伝えることができ、応答も速くできるので、拘束時間は少なくて済むのではという意見も出た。

・自分一人の時間を大切にしたい人は、一人でいる時まで他の人にメールなどで拘束されたくないとの意見が出た。反対に、いつも他者との連絡や関係をとり続けたいような人にとっては、形態メールは画期的なものであるという意見も出された。

 

4、最後に、討論で出された意見を踏まえて私たちの意見を述べ結論としたい。

・メールが普及する前とそれ以前では、社会はどのように変わってきたかについて意見を述べる。

 携帯電話・メールは技術の発展に伴って普及してきた。それらの登場は人々のコミュニケーションの手段を変えた。新幹線などによる時間の短縮化と同様に、そのような通信機器の発達は、人のコミュニケーションのために要する時間を短縮させた。このことについて私たちからの意見を述べる。社会は、何をするにも高速化してきた。そのため、社会における必要性からコミュニケーションの高速化という事で携帯電話やメールというものができてきた。

 それを考えると、電話・メールの発達によってコミュニケーションや社会が変わったというよりも、社会が変わってきたために、そのニーズに答えるために、他の技術と同様に、通信技術も発達してきたと言えるかもしれない。ただ、私たちがここで言うコミュニケーションの高速化の意味する事は、携帯電話・携帯メール普及に伴いコミュニケーション自体にかかる時間を高速化(あるいは短縮化)したということではなく、コミュニケーションをとるためにかかる時間(相手に接触するための時間)が高速化したということだ。分かり易く言うと、携帯電話・メール普及以前に比べて、相手とコンタクトをとるために多くの時間を消費してしまう事が少なくなったということだ。それならば、できるだけ多くの時間をコミュニケーション自体にかけられる可能性がでてきたということだ。この高速化の事に関する限りは、携帯電話・メールの普及は、人々の生活を豊かにするのに役立っていると思う。ただ、実際にこの結果として、人々がより多くの時間をかけるようになったか、それにより内容の濃いコミュニケーションをとるようになったかはわからない。もしかしたら、便利になったことにより、コミュニケーション自体はタンパクになった可能性もある。これらについては、今後検討していく必要がある。

 これからも、携帯電話・メールのような通信技術は発展していくと思うが、人々は新しい技術ができる都度に、その新しい技術が社会にどのような影響を与えるかについては検証していく必要があるし、過去の技術が、どのような影響・意義を持っていたかについても検証しなければいけない。私たちもそういう姿勢を持つ事を大切にしたい。