文化論コロキウムH班報告書
テーマ 「自殺」
発表日 2003年6月26日
発表者 佐藤賢司 新井田萩子 小原香奈子
指導教官 小林英信
〈発表内容要約〉
初めに、「自殺は尊いことなのか?」という論点をあげた。自殺とは、高度な記憶力と複雑な思考能力を持つようになった結果、動物とは比較にならないほど多くの精神的苦痛を抱くようになった人間において特徴的にみられる行為と定義し、自殺した主な著名人の例をあげた。また、宗教や統計から自殺を調べ、日本における平成10年度以降の自殺者が3万人を超え続けていることを発表した。自殺の原因・動機については、一般に様々な要因が絡み合っており、その重要さの順序や度合いが判断しにくいとした。調べてきたことから得られた、自殺者のほとんどが精神障害を患っているという報告や、自殺者の心理は通常の人間の心理とは全く異なったものであるとする考え、また、自殺者が出た場合、周囲の数多くの人々に大きな影響を及ぼし、彼らに深い心の傷を残してしまうということから、私たちは、自殺することは称えられるべきことではない、尊いことではないと意見を述べた。
〈議論の流れ〉
発表内容に対する質問・意見として、李白は自殺ではない、三島由紀夫の自殺はどのような自殺だったか、自殺した人に科される刑罰とはどんなものか、切腹は自殺とするのか、どのような自殺をテーマに議論するのか、自殺をタイプ別にわけたらどうか、そもそも尊いという言葉が自殺に当てはまらないのではないか、などがだされた。李白や三島由紀夫など、各個人の自殺についてはあまり詳しく調べていなかったので、わかっている範囲で答えた。どのような自殺について議論していくのかについて、様々な意見があったが、最終的には、自殺をタイプ別に分ける事はせず、自殺そのものの行為について議論することになった。自殺は尊いかという論点では、議論しにくい点があったため、その論点を拡大解釈し、自殺は肯定されるか否定されるかという論点も加えられた。
自殺は、もちろん社会的に受け入れられ奨励されるべきものではないが、あることで苦しみ、そこで自殺を選ぶのは究極の選択であり、実際に決断し実行までできてしまうのは尊いのではないかという意見があった。それに対し、生きる道も残されているのに、死を選ぶのは肯定されない、また、うつ病や精神病の人にとっては、自殺は尊いことではないのではないかという意見もあった。そして、自殺が周囲に与える影響を考えると、自殺は尊いとはいえないということや、自殺をしようとしている時は、自分のことだけで精一杯で周りのことなど全く見えていないということも述べられた。
〈まとめと反省〉
自殺を、尊いまたは肯定する意見がもっと出されるかと想像していたが、予想に反し、自殺否定の意見が多かった。自殺者本人にとっては、自殺は悩みや苦しみからの解放につながるのかもしれないが、周囲の人々にとっては、その自殺が新たな悩みや苦しみを生んでしまう。このようなことを考えると、自殺はやはり尊いとはいえないのではないか。自殺は究極の選択ではなく、自殺を選択する人は、精神的に追い詰められ、極端に視野が狭くなっており、その選択肢しか見えないのではないだろうか。今回のコロキウムでは、残念ながらはっきりとした結論を導き出せなかった。しかし、自殺という重いテーマながら、自殺について真剣に考え、議論できたことはよかったとおもう。反省点としては、どういう自殺を議論の対象にするのか、はっきりしたことを論点として提供できず、本題の議論に入るまで時間がかかってしまったこと、また、発表者の議論の進め方がうまくいかず、十分に皆の意見や考えをきくことができなかったことがあげられる。
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