文化論コロキウム 2003年7月10日
タイトル:「美人」考―その普遍性を探る―
発表者:佐藤悦子 下家美里 高橋真友子
指導教官:杉浦直
1.発表内容の概要
1)文化によって「美人」の基準は異なるのか?
本多勝一氏による、カナダ・エスキモーのある集落と高地パプア・ニューギニアのある部族における美人調査の例を出した。高知パプアの場合はあまり本格的な美人調査にはならなかったようで、「異性の好き嫌いを決めるのに重要な要素となるような“文化”は、かなり発達した段階にならないと出てこないのではないか」という解釈をしている。いずれにしても、この調査で人々に好まれた美人の傾向は、欧米や日本とはやや異なっており、文化によって「美人」の基準にかなりの違いがあることが予想される。
2)美人論への招待
「美人」に対する個人の率直な意見・主張をホームページ・サイトの書き込みから例示した上で、井上章一の「美人論」を取り上げた。ここでは、明治時代以降の日本の文化の中で、「美人」がどのようにとらえられ、扱われてきたのかを示した。
美人排斥論が強く提唱された明治時代から、美人を肯定的に論じる風潮が出始める第一次世界大戦後を経て、現在、「誰でも美人になれる」という平等的美形論が広まり、また男女ともに容姿を気にする方向へ向かっていると井上は述べている。また、井上は、「美人とは基本的に外見の美しさ。内面の美しさがあってもそれが外面に現れていなければ美人の判断に入れる必要はなく、外面に現れている美しさを基準にしてこそ、美人は客観的に認定される」と述べている。
3)現代日本の「美人」
昭和23年〜昭和58年までの代表的な人気女優・タレントを取り上げ「時代が作った美女たち」の特徴の説明をした。そこから読み取れる美人像の推移を、身体全体、また顔の造作に注目して検討した。その結果、美人像は、典型的美人の時代から庶民派、身近な美人へ、そして個性色を重視された美人へと推移することが示された。顔の造作では、目は“腫れ目”からパッチリした目へ、形の悪かった小鼻は3ミリ高くなり鼻筋がまっすぐ通るようになった。他に、昭和の「黄金率」を参考資料として示した。その後、OHPを使って現在の芸能界で美人と思われる代表的な女優何人かの写真を提示した。
4)提起した論点
1:「美人」の基準に普遍性はあるのか?
2:普遍性があるとすれば現代日本の普遍的「美人」像とは何か?
2.議論の流れ
発表内容に関する質問・意見として、まず論点にある「普遍性」とは「1、広く一般にあてはまること(いつでも、どこでも、誰から見ても)」と、「2、ある範囲のすべてのものに共通すること(≒ある範囲内の時代、場所、人)」2つのうちのどちらのことを言っているのか、2の方は範囲を限定して、むしろ相対的に捉えるのか、という質問がでた。私達は1の普遍性の中では「美人」の基準は見つけられなかったので、一応2の「相対的な意味での普遍性」を中心に考えたが、議論の中では1の、いわば絶対的基準性についても考えを進めたかった。また、「3−1)時代が作った美女たち」の中で挙げられている女性たちは、日本人の視点から見た「美人」なのか、そうでないのか、という質問もでたが、日本人によって製作されたものなので、日本人の視点から見たものだと思われる。
また、論点に関する議論では「やはり『美人』には何らかの普遍性があるのではないか(例えば、バランス)」、「『美人なAさん』がいるからAさんは美人なのではなく、周りの人が『Aさんは美人』と認識して初めて『美人なAさん』になるのでは?」、権力者を魅惑し国を傾ける「絶世の美女」という存在も確かにいたということから「美の普遍性は権力で押し付けられたものである」という意見もでた。さらに、現代の文化・社会における最大の「権力者」はマスメディアであると考えられることから、「美人」の基準もマスメディアにより押し付けられている側面が強いのでは」という見解も示された。
3.考察
今回のコロキウムでの議論から私達は、「美人」とは、その人自身が美しいから「美人」なのではなく、自分がその人を美しいのだと思って見るから、その人は「美人」なのであり、また、相手を「美人」だと思うときの「美」の基準は、その時代の最も影響力のある権力者によって押し付けられたものであるという可能性がある、と考えるようになった。さらに、議論でも出たように、現在の日本で最も影響のある「権力者」はマスメディアであると考えられることから、自分も含め、現在の日本の「美人」の基準はマスメディアにより創られたものが無意識のうちに刷り込まれたものではないかとも考えるようになった。また、マスメディアが創っている「美人」像を探っていけば、現在の日本の(相対的)普遍的「美人」像が見えてくるのではないかと思った。
今回は顔中心で議論を進めてみたが、やはり個人的には内面から見えてくるものも多く、「美人」は顔だけでは判断できないという思いは変わらなかった。
|