文化論コロキウムH班報告
発表年月日:2004年7月1日
テーマ:“お笑い”を考える
H班:伊東裕香 和田千帆 佐々木美沙子 鈴木優華
指導教官:杉浦直
1、問題提起
初めは「お笑いは芸術か?」から始まり、そこからお笑いについて調べていくうちに、昔から“お笑い”が続いてきたことが分かり、その必要性とは何かと考え、その中でも特にTVの中の“お笑い”の必要性について考えてみたいと思った。
2、発表内容
まずはじめに、「“お笑い”を考える」というテーマで発表を行うにあたって、どのような問題提起を経てこのテーマに至ったかという経緯を簡単に述べた。それからレジュメに沿って発表を行った。そして、“笑い”と“お笑い”という言葉を定義した。次に“お笑い”の起源と歴史について、西洋と日本の喜劇の歴史、日本の“お笑い”の起源として狂言、落語、漫才を取り上げた。続いて現在のTVの中の“お笑い”として一週間の民放4局でゴールデンタイム(午後7〜11時)に放送されているTV番組に、どれだけお笑い要素が含まれているのか調べたものをグラフ化し、発表した。映像資料として、『笑点』から「大喜利」と『エンタの神様』からお笑いコンビ「インパルス」のコントを見せ、昔からの伝統的な“お笑い”と新しい“お笑い”の傾向の例として考えてもらった。そして論点の「“お笑い“はなぜ必要か」に対して、テレビ局側と視聴者側の立場からの考察を述べ、討論に移った。
3、議論の流れ
私たち側の提示した論点は「“お笑い”はなぜ(テレビに)必要か」だったが、どのような種類の“お笑い”かを限定していなかったため、そこに議論が集中した。そのな中では、「“お笑い”は“お笑い”でも上品な笑いなのか、下品な笑いなのか」「TVの中の“お笑い”にはどのような種類があるのか→現代的なお笑いを欲する社会状況(どういう時にどういう笑いが必要か)の分析をする必要があったのではないか」といった意見が出た。後半になって、どのような感覚で“お笑い”を見るのかを分析することで“お笑い”の必要性も分かるのではないかということで意見を出してもらったところ、「何も考えたくない時、疲れている時に見る」「ストレス発散」あるいは「ストーリーの流れを把握していないと面白くないドラマと違って、バラエティー番組は毎週続けて見なくてもいいから良い」という意見が出た。
また、逆に「疲れている時はさらに疲れるので見ない」「お笑い番組をつけると、うっかり見てしまうが、時間を無駄にしないよう分析しながら見る」という意見も出た。
4、考察
今回の議論を元に、“お笑い”は私たちの生活の中で潤滑油の役割をしているのではないかと考えた。笑いはストレス発散や、病気まで治すことがあるという。“お笑い”要素を含む番組は、私たちに「今、笑っていいのだ」という笑いの機会を与えてくれる。また、テレビの主要な目的に「情報伝達」があり、その情報を分かり易く、楽しく伝えるために“お笑い”が使われ、潤いを与えているのだと考える。
5、反省・感想
イ、論点が不明確だった。議論の対象はTVの中の“お笑い”であったが、純お笑いと準お笑いの分別など、どこまでを範囲に入れるかが曖昧であった。“お笑い”のカテゴリー分け(風刺、皮肉、コント、どたばた等)をして議論の対象を明確にするべきだった。
ロ、論点と資料がかみ合っていなかった。議論の対象はTVの中の“お笑い”だから、TVが普及し始めた1970年代からの資料も載せるべきだった(古代の資料はこの頃からお笑い芸能があったという参照程度でよかった)。
ハ、ビデオで提示した映像資料が中途半端になってしまった。
ニ、“お笑い”にこだわりすぎ、笑いそのものに対する認識、調査が不十分だった。笑いの種類(優越感、緊張緩和、社交上の笑い、快の笑い等)、笑いと社会の関わりや、そこからみえる笑いの変遷なども十分考慮すべきだった。
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