|
文化論コロキウムIV C班報告書
テーマ 文学賞を考える 発表日 2006年11月16日 発表者 小野大和、子鹿茉衣子、菅原裕佳、小松健太郎、中村瑠衣、下家美里 担当教員 後藤尚人
<問題提起>
近年の文学賞の傾向として、若い世代の受賞者が相次いでいることや、様々な文学賞の新設に伴う多様化が見受けられる。そのような流れの中で、文学賞の現代における機能やその位置づけとはいかなるものなのか、またそれらを踏まえた上での文学賞の存在意義とは何か。
<発表内容>
・文学賞の定義、有名な文学賞の紹介、説明
・芥川賞と直木賞の歴代有名受賞作品の紹介、説明
・受賞作以外の歴代ベストセラーの紹介、説明
・最近の日本の出版状況の説明
・本屋大賞の紹介、説明
・海外での文学賞に対する意義や位置づけの説明
・現代の文学賞における機能の説明
<論点>
1:様々な機能を持つ文学賞だが、現在は更にその乱立が目立つ。何故このように文学賞は増えたのか?
2:新しく生まれてきた、本屋大賞等の賞は何故支持を得ているのか?
<議論の流れ>
○レジュメに対する質問
・文学賞のスポンサーは何故賞を作っているのか?→故人を偲ぶためや新人発掘のため。
・選考対象となる文学の範囲は?→芥川賞であれば純文学というようにそれぞれ選考対象が決まっている。
・文学賞の数はどのくらいあるのか?→200以上はある。地域ごとで開催されているもの等もあるので明確な数字は不明。
○班の論点に対する意見
1の論点に対し、文学賞受賞作品は「受賞」という文字が目につくために売りやすく、買い手としても膨大な作品の中から購入するための1つの手段にできる等、商業的効果を指摘する意見が最も多かった。また、賞が増加することで作家が評価される場が増えるので、新人発掘や新たなジャンルの開拓の拡大にも利用できる、との意見もあった。
2の論点に対しては、本屋大賞は文学界の知識人や権威者ではなく、書店員という読者にとって身近な人が選考する本なので、その親近感に惹かれるとの意見が最も多かった。また、逆にその親しみやすさが他の文学賞よりも権威を感じるという意見や、誰がどのように選んでいるのかが他の文学賞より明確であるからとの意見もあった。
○全体を通しての意見
・権威ある賞が無視されるのは、権威者には俗世間の人の気持ち(サブカルチャー)がわからないから。
・純文学は売るために書いている訳ではない。売れる本だけが良いものとは限らないが、「受賞」という装飾を施さなければ純文学は売れないのではないか。
・純文学という枠組みそのものがわからないから、手に取ろうと思わない。
<反省>
・論点に対するC班の考察と各班の意見が殆ど同じ方向となってしまい、議論を深く展開しきれなかった。そのために、後に何度かこちらから質問を投げかけたが単発で終わってしまった。あまり問題視することなく、全体的に肯定的で平坦な議論となってしまった感は否めない。論点の考察で逆説的立場をとることで、より活発な議論を引き出せたはずだ。また、各班からの質問に対し、対応が進行役に偏ってしまったことも1つのグループとしては大きな反省材料である。しかし、文学賞という、私たちに身近な本に関するテーマ設定が馴染みやすかったためか、持論的な発言が多かったように思われる。その点については良かった。
|