文化論コロキウムVI F班報告書
テーマ:「日本人のもったいない観」
発表日:2007年12月6日
発表者:太田岬、大西奈緒、高橋優子、福田香織、熊谷瞳
担当教員:山本昭彦
1.問題提起
今「もったいない」という言葉が見直され、世界で注目されつつある。今回は、日本人の「もったいない観」とそれが世界で注目された理由、今後どうなっていくのかについて考えた。
2.発表内容
まず、本来仏教用語である「もったいない」の意味について説明し、それが最近注目されるきっかけとなったワンガリ・マータイ氏の活動について、またその他「もったいない」再来の背景としてこの言葉を使用した活動や取り組みの例を紹介した。次に、日本の「もったいない」の例として、伝統的な習慣や、新たな習慣や文化について身近なものをあげた。その後、海外における「もったいない」観として、アジア、イギリス、アメリカを中心に説明した。
3.論点
1)どうして「MOTTAINAI」が世界で注目されているのか。
2)今後、日本で「もったいない観」はどうなっていくか。
4.議論の流れ
まず、私たちが当初あげていた論点、どうして「MOTTAINAI」が世界で受け入れられたかについて、受け入れられている事実はあるのかという指摘を受けた。はっきりとしたデータがないまま「受け入れられた」と書いてしまったため、ここを「注目されている」に直すこととした。
まず「もったいない」について理解を深めてもらうため、論点に入る前に、「もったいない精神」の表れている文化や習慣の身近な例を考えてもらった。肥料、風呂の水、詰め替え商品など、20以上もの例があげられた。次に、「もったいない」という言葉が死語になったといわれるが実際にはどうなのか、または、以前と比べ日本人の「もったいない観」はどのように変化してきたかについて考えてもらった。これについては、死語ではないという意見がほとんどだった。「もったいない観」は今も存在するが、モノが貴重だった昔と比べ今はモノがあるため、行動に移すことがなくなった、もしくは今と昔では「もったいない」のレベルが違う、といった意見が多かった。また、昔は生活に密着して「もったいない」という言葉が使われていたが、最近では環境問題を意識して使用することが多いのでは、という意見もあった。
そしてここで一つめの論点である、どうして「MOTTAINAI」が世界で注目されたのかについて議論した。ここで出た意見としては、他の国にはない日本語の「もったいない」の持つ意味が受けたのではないか、逆に環境問題のスローガンとして目新しさを出すためにこの言葉がうまく利用されただけではないか、別の言葉でもよかったのではないか、といった意見が出された。
最後に、今後日本で「もったいない観」はどなっていくかについて意見を出してもらった。環境問題が注目されているためECOとしての意味では残っていくだろうが、実行には移されないのではないか、経済的に豊かになった今では身に迫った状況がないため、「もったいない」は実態がなくなるだろうという意見が出された。
5.考察
「もったいない」という言葉は、死語にはなっていないにせよ、時代と共に多少の意味合いの変化が起こってきている。大量消費社会といわれる現代では、モノが簡単に手に入らなかった昔と比べ「もったいない精神」が薄れているといえる。そんな「もったいない」が世界で注目されたのは、この言葉が、他の国にはない多くの意味を含んだものだったこと、また、ECOを呼びかけるにちょうどいい言葉だったことが理由として考えられる。しかし、この「MOTTAINAI」も、時代が環境問題に向かっていることでスローガンとして上手く利用されただけで実態はないものといえる。むしろ、消費経済の現代では、「もったいない」という言葉は不要なものである。そう考えると、環境問題が注目されていることで、「もったいない」という言葉としては残っていくであろうが、昔の日本人がみなもっていたような本来の意味での「もったいない精神」は、実態としてはなくなっていくのではないだろうか。
しかし、日本人が忘れかけていたこの言葉を、外国人であるマータイ氏が世界に呼びかけたことが、この言葉を日本のよき伝統として再認識するきっかけとなったことは事実である。今後、形はかわっていくにしても、「もったいない」という日本語が残っていくことを期待したい。
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