記号の学校:朝礼
校長先生からお話があります!
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●記号論がこれまで経てきた道
20世紀初頭に、言語学者 F.de ソシュールが「記号学(sémiologie)」という言葉を考案。ほぼ同時期に、Ch.S.パースが「記号論(semiotics)」という言葉を用いる。
彼らの死後十数年後、ロラン・バルトらが「記号学」という概念をさらに発展させ、文学理論、ファッション、プロレスなどに応用することで幅広い注目を浴びた。また、スラブ系の構造論的文化理論や、Ch.S.パース、Ch.モリスの著作にも注目が集まり、記号学・記号論は「文化の基礎学」として脚光を浴びることとなった。
ジュリア・クリステヴァ、ツヴェタン・トドロフ、ミハイル・バフチン、ヤン・ムカジョフスキー、リトアニアのタルト学派、ウンベルト・エーコなどによって記号学・記号論の領域とそこに向けられる関心は拡大していった。
1960年代の終わりに組織された国際記号学会で、名称の混乱を避けるために、「sémiologie / semiotics」という用語にかえて「sémiotique / semiotics」を統一名称にすることが合意された。しかし、用語上の混乱はその後も続き、日本でも「記号学」と「記号論」という二つの訳語がともに用いられている。
70年代から80年代前半にかけて、人文科学系の諸領域を横断する「超領域的な基礎学」、「文化の総合科学」として熱い感心を集めた。しかし現在では「記号論」関連の出版物が極端に減少している。
その要因としては、
- 記号論が「静態的構造主義」と同一視され、その構造が記号論全体の欠落のように考えられた
- 日本においては、80年代の急速な消費社会化が記号論に対する過度な関心を産み出し、バブル崩壊とともに忘れさられた
- 消費社会や、「ポストモダン」文化を読むための単なる方法論のように考えたれた
- 「カルチュラル・スタディーズ」、「メディア・スタディーズ」といった新しい「学科」ブームが起った
などが考えられる。
最近の記号論としては、知的伝統を乗り越えていく可能性をもった新しい流れとして、「生命記号論」などがある。【J.A.】
[参照:山口昌男・室井尚編『記号論の逆襲』、東海大学出版会、2002]
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えっへん、
よく聞くのじゃ!
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