ようとする(18)。このように、具体的な手稿から始められるドゥブレ・ジュネットの「生成研究 (étude génétique) 」の手法は、 現存する手稿から区別された前‐テクストを念頭に置くベルマン‐ノエルの生成批評と一線を画していると同時に、決定稿としてのテクストの研究にも対置する形で、生成過程の研究に開かれた構造、可能な限りの多様性を見出そうとするもの(19) であった。
しかしながらそのような意図も、この研究方法が実証主義の《テキスト・クリティック》に取り込まれてゆくうえでの障害にはならなかったようである。生成過程研究 (génétique) としての手稿研究と実証主義的手稿研究との間には僅か数歩の距離しかない。両者の到達目標は多様性と唯一絶対性という相容れない地平にあるにもかかわらず、目標到達に向けた過程での作業は共に埋もれた原稿の掘り返しに始まる古典的な手順を踏むため、下火になったとはいえ実証主義的研究方法を是とする学究たちが、経営理念を変える必要もなく《生成批評》の看板を掲げて新装開店し始めたのである。あちらこちらで大義名分をふりかざしつつ遺産の発掘がにぎやかに行われている。生成批評と銘打てばどれも最新の業績となる。まことに生成批評とは救世主だったのである。
こうして最も斬新的とされたテクスト理論が最も古典的な研究方法に結びつく。それは自己回帰的で応用の困難なはずのテクスト理論にすれば、自らを完結させることなく生きながらえることに通じるのかもしれないし、表紙を替えた実証主義にとっても起死回生の妙薬であったことであろう。ただし、テクスト理論が練り上げられる際に用いられた数々の思想は、すでに行き先を見失っている。
結 句
以上のような状況の下、今日のわれわれにとって「テクスト」を語るということは容易ではない。テクスト理論以前と以後とで「テクスト」への認識がまったく異なることは言うまでもないが、「テクスト」が生成批評へ取り入れられ、かつ用語法がテクスト理論の呪縛から解き放たれた現在、《テクスト》が意味するものは混沌の渦中にある。けれどもそれが生成し続けるテクスト本
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(18) Cf. Raymonde Debray Genette, « Génétique et poétique : esquisse de méthode », in Littérature, no 28, ibid., pp.19-20, 24, 27 ; repris dans Essais de critique génétique, éd. de Louis Hay, coll. ‹ Textes et manuscrits ›, Flammarion, 1979, pp.24, 30, 33 ; aussi in R. Debray Genette, Métamorphoses du récit, coll. ‹ Poétique ›, Seuil, 1988, pp.18, 24-25, 29.
(19) Cf. ibid., respectivement, p.30 ; p.37 ; p.33. |
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