平成13年度 前期

文化記号論 I(概要)

 

【第12回:7月13日】 

 

  ※ パース系記号論の展開(2)

  • 今回(と次回)はモリスの主著である『記号と言語と行動』(1946) をとりあげ、パース記号論の展開として、その射程の拡がりを確認したい。

  • 行動科学の影響下に書かれた『記号と言語と行動』の中で、モリスは記号論の領域を人間のみならず、生物界へと広げてゆく。これまで人間の解釈がらみで定義されていた記号概念は、動物の行動レベルにあっても把握可能なものとして再定義される。もちろん記号の概念だけでなく、モリスは学問体系としての記号論そのものを行動科学の一部門として再構築しようとしたわけで、それゆえ本書には、科学たらんとするために定義された専門用語が数多く現われる。それらの用語が今日どれだけ定着したかははなはだ疑問であるが、記号論を科学にまで押し上げようとしたモリスの努力は評価されるべきであろう。

  • 資料として、チャールズ・モリス『記号と言語と行動──意味の新しい科学的展開──』(寮金吉 訳、三省堂、1960)から、行動科学論的観点からの記号論として特徴的な部分を抜粋し、A3で3枚のプリントを配布した。そのプリントを参照しつつ、以下の項目について解説した。

 

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  チャールズ・モリス『記号と言語と行動』(1946)


 第1章 記号と行動場面

 

1 研究の課題

 [...]本書の研究は、記号の学問は生物学を根底とし、ことに行動科学(オットウ・ノイラートの提言に従って行動学 (behavioristics) と呼ばれる分野)のわく内で発展させるのが最も有利であるという確信に基づいている。したがって私はこれから、記号と記号の現われる動物と人間の行動との関係に常に言及するであろう。[...]私はまた、記号の本性への洞察は人間に有力な道具を与えてくれ、それによって、現代の知的、文化的、人格的、社会的の諸問題の全体に対する理解を深め、効果的な参加を押し進める手段が得られるという見解と同意見である。[p.2-3]

2 行動記号をあらかじめ抽出すると

 ここで記号なる語が普通の用法にも、記号論者の書くものにも、ともによく用いられる行動の二つの例をあげてみよう。二例を正面的に分析すると、記号の本質についての、より専門的な公式化で取り上げねばならない特性を明らかにすることになろう。もし二つの行動の両方ともある共通した要素を示すならば、その時はその両方ともを記号行動と呼んでよい。それで二つの場面の相違は記号の種類の性質上の相違をさすことになる。[...][p.5-6]
 第一の例は犬の実験から取ってみる。食物が見えたり、そのにおいがすると、一定の場所へ食物を得るために行く空腹の犬が、ある方法で訓練を受けると、食物が見えなくとも、ブザーを鳴らすと食物を取りにこの場所へ行くことを習得する。この場合、犬はブザーに注意しているが、原則的にはブザー自体の所へは行かない。ブザーが鳴ってしばらくたたないと食物が得られないようであると、それだけの時間が経過してからでないと、問題の場所へ犬が行かないこともある。このような場面について多くの人は、ブザーの音は犬にとって、ある場所における食物の記号であり、ことに非言語記号 (non-language sign) であるというだろう。この例における実験者と実験と目的とを引き離して、犬のことを考えると、この例は、黒い雲が雨の記号であるというのと同じような、いわゆる「自然記号」 (natural sign) といわれるものによく似てくる。[p.6]
 第二の例は人間の行動から取ろう。一人の人がそれがしの町へ行く途中、ある道に沿って車を走らせている。彼は別の人に呼び止められ、その人は、この道は少し先で地すべりのために通れないという。発声された音声を聞いたその人は問題の地点へ行くのをやめて、横道へ曲がって、別な道路で目的地へ行く。一人の人が発し、他の人に聞かれた(しかも発生者自身も聞いている)音声は、現実の反応は非常に違っているとはいえ、両者にとっては道路上の障害物の記号であり、ことに「言語記号」(language sign) であるといわれるのが普通である。[p.6-7]
 これら二つの場面に共通している事実は、犬も呼びかけられた人も、ともに一つの必要を満足させるしかたで──前者は空腹、後者はそれがしの町への到着──行動するということである。どの場合も生物にとって目的を達成するいろいろのしかたがある。食物のにおいがすると、犬はブザーを聞いた時とは違った反作用 (react) をする。障害物に直接ぶつかれば、その人は障害物から離れた所で話しかけられた時とは違う反作用をする。[...][p.7]
 [...]参考として選んだ二つの例が共通に持っているものを分析した見地から、あるものを記号と呼びうる一組の条件を次のように、少なくとも一応公式化できる。「もしあるものAが一つの目的に向かう行動を支配するとき、そのしかたが別のあるものBが現認される場面で、Bがその目的に関連して行動を支配するであろうしかたに類似したしかた(必ずしも同一でなくともよい)であるときには、Aは記号である。」[p.8]
 そこでブザーも音声語も食物と障害物との記号である。そのわけは、食物と障害物とが実際あったと同じに、それらが支配するであろうしかたに似たしかたで、食物を得、または目的地に至るという目的に関して、ブザーも音声語も行動の進路を支配するからである。目的を追求する行動においてこの種の支配をするものは、なんでもすべて記号である。そして記号が支配を及ぼす目的追求の行動を「記号行動」(sign-behavior) と呼ぶことができよう。[p.8-9]

3 記号行動の精確な位置づけへ

 [...]もっと厳密に科学的な目的にかなうためには、行動の類似性の考えと、目標追求の行動の考えとを明確にするために、さらに正確な公式化が必要である。[...]私の仕事は記号論をできるだけすみやかに自然科学の方向に推し進めることであるから、次のような提案をする。[p.9]
 前節の説明に四つの概念が含まれているが、それらをさらに明らかにする必要がある。準備刺激 (preparatory-stimulus)、反応志向 (disposition to respond)、反応連鎖 (response-sequence)、行動科 (behavior-family) である。この四つの概念を解明すると、あるものが記号と呼ばれるに十分な一組の条件をいっそう正確に述べることができる。[p.9]
 「準備刺激」とは、何か他の刺激に対する反応に影響を与える刺激である。O・H・マウラー (O. H. Mowrer) の発見によれば、衝撃刺激に対するねずみのとび上がる大きさは、衝撃刺激を与える前に音を響かせると増大する。そのような刺激は、たとえば衝撃のようなほかの刺激と違っていて、それ自体に対する反応を起こさせないで、自身以外のあるものに対する反応に準備的な刺激として影響を及ぼす。[...]刺激なる用語によってクラーク・L・ハル (Clark L. Hull) の流儀で、生きている有機体の受容器に作用を及ぼす、すべての物的なエネルギーを意味する。このエネルギーの源を供刺激体 (stimulus-object) と呼ぼう。反応 (response) とは筋肉ならびに腺のあらゆる活動を意味する。だから生物の反作用 (reaction) には必ずしも反応でないものがある。準備刺激は生物の反作用に影響したり、原因となったりするが、マウラーが明らかにしたように、それはそれ自体への反応を喚起しないで、なにか他の刺激に対しての反応を喚起する。[...]準備刺激は生物にある反作用を起こさせるし、あるしかたでそれに影響を及ぼす。このことから反応志向という語が導かれる。[p.9-10]
 一定のしかたで、あるものに反応せんとする志向はある一定の時における、生物のある状態であって、その状態のもとに、一定の条件が加わると、いま論じている反応が起こる。これらの付加的な条件はたいへん複雑なこともある。食物をうるために、ある場所へ行くように志向された犬は、食物を見ても、そこへ行かないかもしれない。中間にある障害物の川を進んで泳がなかったり、泳げないかもしれないし、また他の動物が供刺激体としてそこにおると、進んで動かなかったり、動けないかもしれない。[...][p.10-11]
 準備刺激によって、起こされない反応刺激もありうるが、どんな準備刺激も一定の仕方で他のあるものへの反応志向の原因とならぬものはない。だから、論理的には反応志向はより基本的な概念であって、準備刺激は一定のしかたで他のあるものへの反応志向を起こさせる刺激である。[...][p.11]
 反応連鎖は連続的な反応の連鎖であって、その第一の反応は供刺激体で始められ、その最後のものは、目的対象としてのこの供刺激体への反応である。すなわち目的対象とは、反応の連鎖を誘導する生物の状態(つまり必要 (need))を部分的にか、総体的にか除去するものである。空腹な犬が野うさぎを見、追いかけ、殺して食物をうることは一つの反応連鎖である。[...][p.11]
 行動科とは、類似の供刺激体によって起こされ、類似の必要に対する、類似の目的対象としての、これら供刺激体に終結する一組の反応連鎖を言って、科とは生物学の分類、目と属の間にあたる。したがってうさぎに始まって、食物としてうさぎをとることに終わるすべての反応連鎖は、うさぎ-食物の行動科を構成する。行動科は極端な場合は、ただ一つの反応からなることもあるが、その数に制限はない。[...][p.11-12]
 以上に述べた用語を使えば、あるものが記号となることに対して、十分な一組の条件をさらに正確に公式化することができる。「もしあるものAが、ある行動科の反応連鎖を始める供刺激体がない場合に、ある生物にある条件のもとでこの行動科の反応連鎖によって反応せんとする志向を起こさせる準備刺激となるならば、そのときAは記号である。」[p.12]
 この条件に従えば、ブザーは犬にとって記号である。そのわけは、その場所における食物からの直接の刺激がないのに、その場所で食物を追求するようにそれは犬に志向させるからである。同様に話されたことばは運転者にとっては記号である。それは、ある道路上のある地点における障害物自体は音声語を聞いたときには、供刺激体でなはないけれど、その障害物を避ける反応連鎖に彼を志向させたからである。この公式化のよいところは、犬や運転者が記号それ自体に反応することを決めないで、記号はただ他のあるものへの反応に対する準備刺激として役立つことにしていることである。[...][p.12]

6 記号論の基本的用語

 生物にとって、あるものが記号であるというとき、その生物を受記号体 (interpreter) と呼ぼう。記号がもとになって、ある行動科の反応連鎖によって反応しようとする受記号体の志向を受記号体志向 (interpretant) と呼ぶ。記号が原因となって、受記号体が志向させられた反応連鎖を終結させるであろうものをすべて記号の被表示事物 (denotatum) という。記号は被表示事物を表示する (denote)、または事物表示すると言える。ある条件を満たすものがすべて被表示事物となる場合に、その条件を記号の記号表示条件 (significatum) と呼ぶ。記号は記号表示条件を「記号表示する」(signify) と言える。「意味を持つ」(to have signification) という句は、「記号表示する」(to signify) と同義語に考えてよい。[p.20]
 このように犬の例の場合、ブザーは記号である。犬は受記号体である。一定の場所で食物を捜すという志向は、ブザーによって喚起されているから、受記号体志向である。犬が志向させられた反応連鎖の終結をさせる、求められた場所にある食物は被表示事物であり、ブザーによって表示されている。一定の場所において、(ある種類の)食べられるものであるという条件は、ブザーの記号表示条件であって、ブザーが記号表示するところのものである。[p.20-21]
 運転者の場合をとれば、話しかけられたことばはその人にとって記号である。運転者は受記号体、道路上におけるある地点での地すべりを避ける反応への志向は、受記号体志向である。その場所における地すべりは被表示事物、その場所における地すべりであるという条件は、話しかけられたことばの記号表示条件である。[p.21]
 [...]記号過程に活動する要素はすべて供刺激体か、有機的な志向か、現実の反応であるから、記号論の基本的用語は、ある環境に起こる行動に適用できる用語で公式化できる。記号論はかくして行動という経験科学の一部門となり、行動の一般理論が到達した、または到達しうるすべての原理なり、予測が利用できる。[p.23]
 ある記号の記号表示するところのものをほかの記号を使って公式化することは、公式化された記号表示条件と呼ばれる。公式化された記号表示条件は、それが記号の現存する記号表示条件を公式化すれば、表徴的で (designative) あるとなり、それが記号がこれから持つことになっている記号表示条件を公式化すれば、命令的で (prescriptive) あることになる。[...][p.23]

 

7 用語の拡張

 ある特定な物的事象──音とか、符号とか、運動のような──は、それが記号の働きをすれば、記号負荷体 (sign-vehicle) という。ある受記号体にとって同じ記号条件を持つ同類の記号負荷体の一群を記号科 (sign-family) という。ブザーの特定の音が、犬にとって特定の場所にある食物の記号であるとき、それは記号負荷体であるが、一群の同類の音が様々な時に犬にとって、その場所にある食物を意味する時、その一群の記号は記号科を形成し、各特定のブザーの音はその記号科の一構成部分である。[...][p.24]
 ある記号科に属していない記号負荷体は、単一場面的記号 (unisituational sign) である。それはただ一つの場面だけでその意味を持っている。単一場面的記号はあるとしてもまれである。たいていの記号は複数場面的 (plurisituational) である。[p.24]
 記号が多くの受記号体に対して同じ意味を持つ度合いに従って、それを相互人的記号 (intepersonal sign) と呼ぶ。またそうでない場合に、単一人的記号 (personal sign) という。受記号体にとって記号が相互人的であれば、それらの受記号体を受記号体科 (interpreter-family) と呼ぶ。ある記号は原則的に全く相互人的であるか、または全く単一人的である。たいていの記号はそのどちらでもない。原則として記号がある受記号体に対して何を意味しているかを見つけるのは常に可能であるし、またそれを相互人的にするのも常に可能であるから、どんな記号も本来は単一人的ではない。[...][p.24-25]
 記号負荷体は、それがただ一つの記号表示条件を持っているときは、非多義的 (unambiguos) である。そうでなければ、多義的である。英語で chair は多義的記号の良い例である。もし人が「いすを占めている」(hold a chair) というと、それはすわるいすをつかんでいるのか、ある種の学問的な地位にあるのかわからない。記号化の意味における記号は多義的となることはない。そのわけは、ある記号科に属するすべての記号は、定義によって同じ記号表示条件を持っているからである。[...][p.25-26]
 記号は、その記号表示条件がただ一つの被表示事物だけをさすときに、単称的 (singular) であって、その他のときは、総称的 (general) である。「合衆国の1944年の大統領」は単称的記号である。それは記号の意味から言って、一個以上の人を表示できない。これと同じように「私」という記号も同様である。[...]これに対比して、「家」というのは、その記号表示条件が記号負荷体の被表示事物をただ一つに限定できないのであるから、総称的記号である。一般性の度合いは記号表示条件の相互関連性の問題である。「有色の」は「赤い」よりも総称的である。[...]ある記号がほかの記号より一般的あるとき、またはそれと同じように一般的であるときに、その記号を他の記号の分析的伴立 (analytic implicate) という。[p.26]

8 シグナルとシンボル

 [...]かりにブザーが犬にある反応を起こさせて、その反応がブザーを鳴らさないでも、一定の場所にある食物に対する記号としての役目をするとすれば、そのような「反応記号」は環境とは比較的独立しており、それの同義語となる別の記号の代用物となるという事実から見て、独自の性質を持っていると言えるだろう。言語の段階では、もっとたやすく例が見られる。自動車の運転手が三つめの交叉点で右に回るように言われたとすると、彼が問題の交叉点に来るまで右手の指を三本延ばしたままにしているか、言われたことばをくり返し続けるかしてもよい。運転手のこのような行為は、言われたもとのことばが意味することは自身にとって意味する記号となるであろうし、その記号は話された記号がない場合にも、運転手の行動を支配するであろう。[p.29-30]
 上例を公式化すると次のような区別立てになる。すなわち、生物がその行動を支配するにあたって、ある別な記号Aの代用となる記号Bを自身に提示し、記号Bが代用をつとめているもとの記号Aが意味すると同じことを意味しているときは、この記号Bがシンボル (symbol) であり、この記号過程はシンボル過程 (symbol-process) となる。こういう場合でないとき、記号はシグナル (signal) であり、その記号過程はシグナル過程 (signal-process) となる。もっと簡明に言えば、シンボルとは受記号体の提出する記号の一種で、それが同義語的である他の記号の代用物として作用する。シンボルでない記号はすべてシグナルである。[p.30]

 


 第2章 言語と社会行動

 

(以後の説明については、次回分に回す)


 

 

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【参照&紹介文献】

  • Charles Morris, Signs, Language and Behavior (1946), George Braziller, 1955.

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