*一般的にアナグラムとは言葉の綴り字を組みかえて新たな語や文をを作ることであるが、ソシュールが考えていたアナグラムは、
詩人たちが自らの詩句のうちに「テーマ語」(mot thème) と呼ばれる変綴(多くは固有名詞)を意図的に潜ませ、それによって明白に詩っている内容以上の効果を生み出す技法[cf. 丸山 p.171]
のことである。
*ソシュールは、このテーマ語が詩句の中に散在する形式に従って、「アナグラム」、「アナフォニー」、「イポグラム」、「パラグラム」、「ロゴグラム」、「アンチグラム」など、いくつもの名称を考案したが[cf. Starobinsky p.27-32]、重要なのは、
▼ テーマ語がいくつかの単音 (monophone) に分けられることで成る「アナグラム」(anagramme)
▼ テーマ語がいくつもの複音 (diphone) に分けられることで成る「イポグラム」(hypogramme)
▼ アナグラムより広い範囲に散在する「パラグラム」(paragramme)
である。
*テーマ語は「マヌカン」(manuquin) と呼ばれる語群の中に現われることになり、たとえば、ヴィイイ(Veii)包囲についてのティトゥス・リウィウス(Titus Livius)の記述に出てくる神託で、テーマ語「APOLLO」は、マヌカン[]の中に、
(勝利者よ、わたしの神殿に多くの供物を届けよ)
Donom [amplom victor] [ad mea templa portato]
A PLO O A PLA PO O
APOLO APOLO
という具合に現われる。[cf. Starobinsky p.70-72, 丸山 p.173]
*スタロビンスキーは、ソシュールにならい自ら偶然に見出したというアナグラムの例として、シャトーブリアンの『墓の彼方からの回想』のリュシール(Lucile)についての記述にみられる、
(全てが彼女にとっては、悩みであり、悲しみであり、痛手であった)
Tout lui était souci, chagrin, blessure
LU--------CI----------Le
や、ボードレールの Le Vieux Saltimbanque の一行にある
(私はヒステリーの恐ろしい手で喉が締めつけられるのを感じた)
Je sentis ma gorge serrée par la main terrible de l'hystérie.
HY---------S----------------TERIE
などの例を挙げている。[cf. Starobinsky p.158]
*こうしたアナグラムを詩句のなかに散在させるのは詩人の意図的な営為であるはずであると思ったソシュールは、当時の古典詩人からの証言を得るべくボローニア大学の教授でもあったパスコーリに手紙を出すが、確証を得ることができず、やがてこの研究を放棄することになる。
*しかし、アナグラムが詩人の意識的技法であるのか単なる偶然に過ぎないのかは、現代的視点からすればさほど重要ではない。このような読み取りが可能であるという事実は、作者の意識とは何ら関係がなく、アナグラムが開示した問題は、むしろシニフィアン/シニフィエの相互依存関係と、シニフィアンの線状性の破壊であるとされているのは周知のとおりである。
*シニフィアンがそれ自体はじめに依拠していたシニフィエから遊離し、線状性の壁を突き破ることによって、後にクリステヴァの言う「表状モデル」(modèle tabulaire)としてのパラグマティックな解読が可能となり、そのような意味においてソシュールが行なったアナグラムの研究は革命的性格を秘めていたといえるだろう。
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