平成13年度 前期

文化記号論 I(概要)

 

【第4回:5月11日】 

 

  ※ 前回のおさらい

  • 前回はソシュール『一般言語学講義』のエッセンスを解説したが、今回はソシュールの原資料をもとに書かれた丸山圭三郎氏の『ソシュールの思想』を参照し、いくつかの項目を補足しておきたい。

  • ランガージュとラング:潜在的能力 vs 顕在的社会制度
    *ランガージュ:人間が持つ普遍的言語能力、抽象能力、カテゴリー化の能力
    *ラング:個別共同体で用いられる国語体

  • ラングとパロール:潜在的構造 vs 顕在化、具体化
    *ラング:受動的で集団のなかに存在
    *パロール:ラング(社会契約)によって自らの能力を実現する個人の行為

  • 体系
    *価値体系:箱のなかの風船の比喩

  • 記号原理
    *事物/名称の関係ではない:言語記号は表現と意味を同時に持つ

  • 恣意性
    *シニフィアンとシニフィエの結び付きにみられる恣意性
    *言語体系内の諸記号関係の恣意性:価値

  • 形相と実質
    *形式と内容ではない:形式にも内容にもそれぞれ形相と実質がある
    *同じ列車の比喩:形相として同じ列車(先月の同じ列車)、実質として同じ列車
    *体系内には、記号があるのではなく、記号間の差異がある

 

===========

 

  ※ 記号論の源流 I:ソシュール(2)

  • 一般言語学講義を行いつつ、ソシュールは同時に神話・伝説研究やアナグラムの研究に没頭していた。それらの研究を通して、ソシュールは言語の本質が捉えられると確信していたようであるが、以下にアナグラム研究とはどのようなものであったのかを検証する。

  • 資料としては、Jean Starobinsky, Les mots sous les mots : Les anagrammes de Ferdinand de Saussure, coll. ‹ Le Chemin ›, Gallimard, 1971 と、丸山圭三郎『ソシュールの思想』、岩波書店、1981 から、それぞれ関連する個所を抜粋し、A3で3枚のプリントを配布した。そのプリントを参照しつつ、以下の項目について解説した。

ソシュールのアナグラム研究

◆ 丸山圭三郎氏によれば、同じようなコードに属するかに思える信号類とコトバでも、前者の体系の基本的単位は記号ではなく言表であるのに対し、後者は記号の体系であって、この記号の言表化は《ディスクール活動》として個人の自由にまかされているという根本的な相違があるとソシュールは確信していたらしい。
 たとえば、円形の赤地に白線を横切らせた交通標識は、《進入するな》というメッセージ(禁止の言表)を形成している。一方、言語の場合は、いかなる記号も概念を担いこそすれ、メッセージを担ってはいない。
 したがって、たとえ個々の語には意味の烙印が押されていても、この既成の意味を組み合わせて、かつて一度も表現されなかったメッセージを形成することが可能となる。
 こうしてソシュールの関心は、個々の《孤立した諸概念からディスクールへの移行》の問題に移っていったという。
 ソシュールは、《文学の記号学》を通してこそ、本質的言語がその発生の現場において捉えられると確信したのである。[丸山 p.167-169]

 

 

*一般的にアナグラムとは言葉の綴り字を組みかえて新たな語や文をを作ることであるが、ソシュールが考えていたアナグラムは、

詩人たちが自らの詩句のうちに「テーマ語」(mot thème) と呼ばれる変綴(多くは固有名詞)を意図的に潜ませ、それによって明白に詩っている内容以上の効果を生み出す技法[cf. 丸山 p.171]

のことである。

*ソシュールは、このテーマ語が詩句の中に散在する形式に従って、「アナグラム」、「アナフォニー」、「イポグラム」、「パラグラム」、「ロゴグラム」、「アンチグラム」など、いくつもの名称を考案したが[cf. Starobinsky p.27-32]、重要なのは、

テーマ語がいくつかの単音 (monophone) に分けられることで成る「アナグラム」(anagramme)
テーマ語がいくつもの複音 (diphone) に分けられることで成る「イポグラム」(hypogramme)
アナグラムより広い範囲に散在する「パラグラム」(paragramme)

である。 

*テーマ語は「マヌカン」(manuquin) と呼ばれる語群の中に現われることになり、たとえば、ヴィイイ(Veii)包囲についてのティトゥス・リウィウス(Titus Livius)の記述に出てくる神託で、テーマ語「APOLLO」は、マヌカン[]の中に、

(勝利者よ、わたしの神殿に多くの供物を届けよ)
Donom [amplom victor] [ad mea templa portato]
     A PLO      O  A        PLA PO   O
       APOLO         APOLO

という具合に現われる。[cf. Starobinsky p.70-72, 丸山 p.173]

*スタロビンスキーは、ソシュールにならい自ら偶然に見出したというアナグラムの例として、シャトーブリアンの『墓の彼方からの回想』のリュシール(Lucile)についての記述にみられる、

(全てが彼女にとっては、悩みであり、悲しみであり、痛手であった)
Tout lui était souci, chagrin, blessure
   LU--------CI----------Le

や、ボードレールの Le Vieux Saltimbanque の一行にある

(私はヒステリーの恐ろしい手で喉が締めつけられるのを感じた)
Je sentis ma gorge serrée par la main terrible de l'hystérie.
    HY---------S----------------TERIE

などの例を挙げている。[cf. Starobinsky p.158]

*こうしたアナグラムを詩句のなかに散在させるのは詩人の意図的な営為であるはずであると思ったソシュールは、当時の古典詩人からの証言を得るべくボローニア大学の教授でもあったパスコーリに手紙を出すが、確証を得ることができず、やがてこの研究を放棄することになる。

*しかし、アナグラムが詩人の意識的技法であるのか単なる偶然に過ぎないのかは、現代的視点からすればさほど重要ではない。このような読み取りが可能であるという事実は、作者の意識とは何ら関係がなく、アナグラムが開示した問題は、むしろシニフィアン/シニフィエの相互依存関係と、シニフィアンの線状性の破壊であるとされているのは周知のとおりである。

*シニフィアンがそれ自体はじめに依拠していたシニフィエから遊離し、線状性の壁を突き破ることによって、後にクリステヴァの言う「表状モデル」(modèle tabulaire)としてのパラグマティックな解読が可能となり、そのような意味においてソシュールが行なったアナグラムの研究は革命的性格を秘めていたといえるだろう。

 


前へ / 次へ