平成13年度 前期
文化記号論 I(概要)
【第7回:6月8日】
※ 記号論の源流 II:パース(1)
- 今回から3回に渡り、パース記号論の概略を説明する。ソシュールがフランスを中心としたヨーロッパ系の記号論&構造主義に多大な影響をおよぼしたのに対し、パースは英米系の記号論の源流と目されており、《3》(2項に対する3項)がキーワードとなる。
- パース,チャールズ・サンダーズ:Peirce, Charles Sanders:米 1839-1914
哲学者、論理学者、数学者。マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。 ハーヴァード大学で学び、1861年からアメリカ湾岸測量局に勤務。1879年には、ジョンズ・ホプキンズ大学の論理学講師となるが、個人の研究に没頭するため、1894年に職を辞す。膨大な研究は死後8巻本(1931-58)として出版される。現代の形式論理学と関係論理学のパイオニアであるが、プラグマティズムの祖としてもよく知られる。自身とウィリアム・ジェイムズの仕事を区別するため、のちに自分の方法を“プラグマティシズム”と命名。彼の意味の理論は記号論の成立に貢献した。【岩波=ケンブリッジ『世界人名辞典』より】
- パースの著作の翻訳は、勁草書房から『パース著作集』(全3巻)が出ており、とりわけ第2巻に記号学関連のものがまとめられている。今回は資料として、『パース著作集1 現象学』(米盛祐二 編訳、勁草書房、1985)および『パース著作集2 記号学』(内田種臣 編訳、勁草書房、1986)から関連部分を抜粋し、A3で3枚のプリントを配布した。そのプリントを参照しつつ、以下の項目について解説した。(なお、用語等について、必要な部分は、Collected
Papers of Charles Sanders Peirce, ed. by Charles Hartshorne & Paul Weiss, Belknap Press of Harvers Univ. Press, 6 vols, 1965 を随時参照している。)
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パース『パース著作集1 現象学』
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第1章 現象と現象学
2 現象の三つの究極的要素[p.5〜]
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[1・293]論理語は、一項的なものか、二項的なものか、多項的なもののいずれかであり、多項的なものは三項的なもののなかに根本的に違う要素を持っていないので、全ての対象は一項的なもの、二項的なもの、三項的なものに分けられる。
[1・295]第一のもの: 他のいかなるものとも関係なくそれ自体であるもの、それ自体において完全であるもの、そういう要素およびそれらの要素に特に関係するすべてのものを「第一のもの」(priman) と呼ぶ。
[1・296]第二のもの: 第三のものにはいっさい関わらず、第二のものとの関係においてそのものであるような要素、たとえば「他者性」の観念。そのような観念およびそれらの観念によって特色づけられるすべてのものを「第二のもの」(secundan) と呼ぶ。
[1・297]第三のもの: 第四のものにはいっさい関わらず、第二のものと第三のものとの関係においてそのものであるような要素、たとえば「合成」の概念。そうした第一のものと第二のものの間の第三のもの、または結合の媒体という性格を有するすべてのものを「第三のもの」(tertian) と呼ぶ。
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第3章 諸科学における三分法
1 三分法[p.43〜]
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[1・356]第一のものとは、その存在がいかなるものにも関係なく、ただそれ自体においてあるものである。第二のものとは、他の何ものかに対する第二のものであり、その何ものかの力によってそのものであるようなものである。第三のものとは、事物の間の媒介をつとめ、それらの事物をたがいに関係づけることによってそのものであるようなものである。
[1・371]全ての多項的事実は三項的事実に還元できる。(Cf. 三つ叉に分れた道路の結合図 p.62)
[1・372]記号に三つの種類があるのは、記号には 記号それ自体 と 記号が表意する対象 と 記号が精神のなかに産み出す認識 の三項的結合があるからである。記号とその記号が表意する対象との間に単なる理性の関係(類似関係)がある場合、その記号は類似記号である。記号とその対象の間に直接的な物理的関係がある場合は、その記号は指標記号である。精神が記号とその対象とを結びつけるという事実が成り立っているような関係がある場合は、その記号は象徴記号である。
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【パースは哲学の体系を三分法で捉え直そうと構想していたが、訳者の米盛祐二氏によれば、パースが考えていた「哲学」の諸部門およびその体系は以下のように図式される。cf. p.202】
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パース『パース著作集2 記号学』
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第1章 記号の分類
1 根底、対象および解釈項[p.1〜]
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[2・227](1897-3) 広い意味での論理学とは記号学 (semiotic : Σημειωτικη)、つまりいろいろな記号についての準必然的なあるいは形式的な学説の別名にすぎない [...] 。
[2・228](1897-3) 記号 (sign) あるいは表意体 (representamen) とは、ある人にとって、ある観点もしくはある能力において何か代わりをするものである。記号は誰かに話しかける、つまりその人の心のなかに、等価な記号、あるいはさらに発展した記号を作り出す。もとの記号が作り出すその記号のことを私は、初めの記号の解釈項 (interpretant) と呼ぶことにする。記号はあるもの、つまり対象 (object) の代わりをする。記号がその対象の代わりをするのは全ての観点においてではなくて、ある種の観念との関係においてであり、この観念を表意体の根底 (ground) と呼んだことがある。
[2・229](1897-3) どの表意体もこのように三つのもの、つまり根底、対象および解釈項と結びついているということから、記号学という科学は三つの分野を持つことになる。第一の分野はドゥンス・スコットゥスによって理論文法 (grammatica speculativa) と呼ばれている。これを純粋文法 (pure grammar) と呼んでいいかもしれない。[...] 第二の分野は本来の論理学 (logic) であり、科学的知性の使用する表意体が何らかの対象についてあてはまるために、つまり真であるために準必然的に持っていなければならない特性の科学である。[...] 第三の分野は、新しい考えを表す専門語を見つけるとき、ことばの古い連想を保存するというカントのやり方にならって純粋修辞学 (pure rhetoric) と呼ぶことにする。
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2 記号とその対象[p.4〜]
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[2・230](1910-3) 何かが記号であるためには、それは何か他のものつまり記号の対象と言われるものを「表意」しなければならない。[...] 研究のむずかしさを減らすために、記号はそれぞれ一つしか対象を持たないものとして扱うことにする。
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3 三項関係の分類[p.10〜]
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[2・242](1903-2c) 表意体というのは三項関係の第一項であり、第二項はその対象、可能な第三項はその解釈項といわれるが、このような三項関係によって、この可能な解釈項が、同じ対象と別のある可能な解釈項に対して同じような三項関係を持った場合の第一項となるように規定されている。記号というのは、その解釈項のあるものが心の認知であるところの表意体である。記号はこれまで多く研究されてきた唯一の表意体である。
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4 記号の第一の三分法[p.10〜]
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[2・243](1903-2c) (1903) 記号は次のような三つの三分法によって分類できる。第一のものは、記号そのものが単なる質 (quality) であるか、実動存在者 (actual existent) であるか、一般的法則 (general law) であるかによるものであり、第二のものは記号とその対象との関係の本質が、記号が自分自身の中にある特性を持っていることにあるのか、その対象とのある現存的な関係にあるのか、解釈項との関係にあるのかによるものであり、第三のものは、解釈項がそれを可能性の記号として表意するのか、事実の記号として表意するのか、理性の記号として表意するのかによるものである。
[2・244](1903-2c) (1903) 第一の分割によると、記号は性質記号 (qualisign)、単一記号 (sinsign)、法則記号 (legisign) と呼べる。性質記号とは記号であるところの質であり、これは実際には具体化されるまで記号としては働くことができない。
[2・245](1903-2c) (1903) 単一記号は記号であるところの実動的に存在するものあるいは事象である。これはその持っている質を通してこそ記号でありうる。
[2・246](1903-2c) (1903) 法則記号は記号であるところの法則である。この法則は普通人間によって確立される。習慣的記号はどれも法則記号である。[...] 法則記号はどれも実際に使われることによって何かを意味するが、このような使用実例は法則記号のレプリカ (replica) と名づけていいだろう。
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5 記号の第二の三分法[p.12〜]
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[2・247](1903-2c) (1903) 第二の三分法によると、記号は類似記号 (icon)、指標記号 (index)、象徴記号 (symbol) と呼べる。 類似記号というのは、自分自身の特性によって、しかもかかわりを持つ対象が現実に存在しようがしまいが、自分で所有する特性によるだけで対象にかかわるような記号である。[...] 質であれ、現存する固体であれ、法則であれ、いかなるものも何ものかに似ていてその記号として使われる限り、それはその何ものかの類似記号である。
[2・248](1903-2c) (1903) 指標記号というのは、かかわりを持つ対象により実動的に影響を受けることによってその対象にかかわるような記号である。[...] 指標記号はその対象によって影響を受ける限り、必然的にその対象とある質を共有し、この点でその対象にかかわる。それゆえ指標記号は特殊なものではあるがやはりある種の類似記号を含んでいる。
[2・249](1903-2c) (1903) 象徴記号というのは、法則によって、普通は、一般観念の連合によってその対象にかかわるような記号であり、このような連合が働くことにより象徴記号はその対象にかかわるものとして解釈されるようになる。こういうわけで象徴記号自身一般的なタイプあるいは法則、つまり法則記号である。そういうものだから象徴記号はレプリカを通して働く。
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6 記号の第三の三分法[p.13〜]
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[2・250](1903-2c) (1903) 第三の三分法によると記号は名辞的記号 (rheme)、命題的記号 (dicisign or dicent sign)、論証 (argument) と呼べる。 名辞的記号というのは、その解釈項にとって質的な可能性の記号である、つまりかくかくしかじかの種類の可能な対象を表意するものと理解されるような記号である。
[2・251](1903-2c) (1903) 命題的記号というのは、その解釈項にとって実動的現存性の記号であるような記号である。それ故、これは類似記号ではありえない。[...] 命題的記号は必然的に、それがかかわっていると解釈される事実を記述するための名辞的記号をその一部として含んでいる。
[2・252](1903-2c) (1903) 論証というのは、その解釈項にとって法則の記号であるような記号である。あるいは次のように言うこともできるだろう。──名辞的記号はその対象をその特性においてのみ表意すると理解されるような記号であり、命題的記号はその対象を実動的現存性との関係において表意すると理解されるような記号であり、論証はその対象を記号としてのその特性において表意すると理解されるような記号である。[...] 命題はそれがかかわる実動的現存者や実在的な法則によって本当に影響を受けていることを公言する。論証も同じ主張をするが、これは論証の主だった主張ではない。名辞的記号はこのような主張はしない。
[2・253](1903-2c) (1903) 論証の解釈項は論証を、全体から見て常に真理に向かうような、論証の一般的なクラスの一実例として表意する。論証が勧説しているのはある形でのこの法則である。この「勧説する」(urging) ということが論証に固有の表意形式である。それ故、論証は象徴記号つまりはその対象が一般法則ないしタイプであるような記号でなければならない。論証はその前提と言われている命題的象徴記号つまり命題を含んでいなければならない。というのは論証は実例によって法則を勧説することによってしか法則を勧説することができないからである。
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【配布したプリントの3枚目の内容(記号の十個のクラス)については次回に解説する】
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【参照&紹介文献】
- 伊東邦武、『パースのプラグマティズム』、勁草書房、1985
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